多摩から世界へ

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Category: 城

稲庭うどんだけじゃない、稲庭城もあるぞ!稲庭三種の神器にはまった話

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inaniwa

いや~稲庭にすっかりはまりました。それが稲庭うどんだけじゃないんです。「稲庭の三種の神器」にです。

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花桃の里、そして足利氏古河公方の本拠地、古河城が夢の跡

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koga3

茨城県の古河にやってまいりました。古河、ここは歴史を知っている人であれば一度は訪れてみた場所なんです。そう、何を隠そうここ古河は古河公方の本拠地なんですから。

名にし負う古河公方

「古河公方」は室町幕府を開いた足利氏まで遡ります。鎌倉幕府が崩れ、足利尊氏は京都に室町幕府を開きました。そして、足利はもともと関東の有力源氏なんです。そう、簡単に言ってしまえば古河公方は関東における足利氏における関東統治機関みたいなものです。そう簡単には言えませんが、そう思っておいてけっこうです。なので、史跡もたくさんありまする。

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なので、「足利銀行」もありまする。ギャグではありませんよ。由来はそういうことです。

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なんといっても古河城!

古河に訪れた最大の目的は「古河城」です。古河城は古河公方の居城ですね。さぁ、行ってみましょう!

さっそく街のいたるところにこんな史跡板が。いいですねー。ここには江戸時代の徳川重臣、「土井利勝」のことがかいてありました。そういえば江戸時代になると古河城は土井利勝が治めていましたからね。そういうことか。

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うーん、これは城が近づいてくる予感しかない笑 古い漆喰蔵が現れてきました。雰囲気いいですね。

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きなすった!いかにも堀っぽい!ということは・・・・・

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やはり!ここは堀ですね。今では遊歩道になってます。現代版堀の活用法。

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堀をしばらく歩くとこんな感じの建物が・・・・ん、、、これは!!!

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もうお気づきの方もいらっしゃると思いますが、古河城は明治初期に廃城になり、その役目を終えています。そして今は古河城跡に歴史博物館が残っているのみで、残る史跡はありません。

ただ、明らかに堀の跡であろう場所や、高低差を利用した急斜面防御、土盛。そんな遺構がみてとれます。足利氏、松平氏、小笠原氏、と続いた古河城、兵どもが夢の跡でした。

古河城の意義

古河城は時代によって様々な意義変化がありました。

  • 室町時代→足利氏の関東統治としての拠点
  • 戦国時代→北条氏が小田原拠点として勢力を広めると徐々に重要性が薄れる
  • 江戸時代→江戸の北方の防衛処であり、かつ日光参拝途中の宿場町

だからこそ、古河という地は歴史的にも非常に重要な意味を持っています。

古河の関係者、これを見て!!古河への警鐘

しかしながら、古河駅を降りたら、ひじょーに寂しい町でびっくりしました。古河城の雰囲気があるのは、古河城のまわりだけ。「花桃まつり」「歴史の街」とところどころに謳ってはいますが、統一性がありません。

さらなるどん底に突き落とされたのはこれ。

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なんなのよさ、これ!笑 古河公方の拠点であるほどの歴史遺産をもつ町なので、こんなことせんでもよろしいんですよ。じゃなくてさ、

  • 街全体を小江戸のような雰囲気にする
  • 古河城への道は石畳にして、出店をかまえる
  • 駅を木造もしくは木造似造にする

これだけでも、歴史の街感はでます。写真映えもしますし。

そして、「花桃」ですが、そもそもなぜ古河で花桃が有名かというと、江戸時代に古河城城主である土井利勝が燃料と食料自給のために植えたのがはじまりです。つまり、花桃も歴史と結び付けられるんです。

非常に育てやすいですよ、花桃。

そう、古河はすべては歴史からはじまっているんです。もっと歴史の街らしくしないと、過疎化していきますよ。足利氏に思いを馳せながら、古河ぶらり旅終幕。
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八王子市にある左入城について考えてみる

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sanyuu

多摩には数多くの城が存在します。それは、北条氏と武田氏の勢力争いの境であったことや、その地形ゆえに山城として発展していったからです。八王子城や滝山城、川越城なんかが特に有名ですが、小さい城や伝承城等含めると数知れないほどの城があります。その中で東京都八王子市にある左入城がちょいと面白かったのでご紹介したいと思います。

村内ファニチャーアクセスに石碑が

国道16号沿いにある八王子近辺では有名な「村内ファニチャーアクセス」に左入城の石碑が建立されています。これは、村内ファニチャーアクセスを運営している村内家第17代当主の村内道昌さんが平成17年5月に建てたものとのこと。なかなか歴史が分かる人ですね。この石碑は村内ファニチャーアクセスの入り口にドンと立てられており、内容までは見ずとも、その存在があることを認識されている方は多いのではないのでしょうか。

左入城とは

実は詳しいことはよくわかっていません。伝承によると「中丸淡路守」の館跡であるとか、「西山十右衛門」という者が城主であったとか伝えられています。どちらかというと、皆さんが想像される立派な城というよりかは、大きい館や陣城級の城であったことが推察されます。また、この左入城のある位置は「八王子城」の支城である「滝山城」の近くにあり、滝山城の出城であるとも言われていますが、国道16号という通行の要であることや、滝山城からの近さを考えると、出城ではなく、陣所や関所・砦のような位置づけではないかと個人的には思います。

左入城の歴史

永禄十二年(1569)武田信玄の滝山城攻撃では、拝島に本陣が置かれ、総大将の武田勝頼は尾崎山(現在の中央道・八王子IC付近が比定地)に陣城を築いている。左入城と尾崎山は約1.5キロしか離れてなく、滝山城の前哨戦として攻め落とされたともいわれる(『多摩の古城址』)。

武田信玄が甲斐から現甲州街道を通り武蔵国・相模に攻め込んだ際に滝山城の前哨戦として落城したと伝えられています。この戦いでは、武田信玄は拝島に本陣を置き、小山田信茂が別働隊として小仏峠から進入し、滝山城の三の丸まで攻め込みましたが、すんでのところで北条方は守りきっています。ちなみに、この合戦がきっかけで、八王子城が築かれることになりました。

石碑を見てみよう

今回の記事は石碑から始まっていますが、石碑を一つとっても背景にはこれだけのストーリーが存在します。本を読んでその情景が脳裏に浮かぶイメージですね。実は日本にはこういう石碑がめちゃくちゃ存在します。なによりも、この左入城という存在が石碑となってい今にまで残っているということが何よりの宝です。ふと石碑をみつけたら、足をとめてみてはいかがでしょうか?
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