Pocket

「御殿場」といえば、まず最初に思い浮かぶのが「御殿場プレミアムアウトレット」だと思います。東京から程よい距離があり、またブランド店の数も都内のそれと比べるとかなり多いので、私もよく訪れます。何よりも富士山と箱根山系に挟まれている地形と環境がグッドなんですよね、ここ。それよりも何よりも私がここで言いたいのは「御殿場」という地名です。この地名、なかなか聞きませんよね?地名に「殿」「宮」がつく場所というのはだいたい何かあった地名なんです。かくいう御殿場も面白い由来があります。

あの徳川家康に由来する

御殿場を語るうえで、徳川家康は外せません。1615年~1616年にかけて、徳川家康はこの地方の沼津代官に、家康が使う御殿(休憩所)とその周辺開発を命じました。実際には、沼津代官が芹澤将監に対して建設命令がおりました。そして、その御殿を中心に御殿新町が生まれ、「御殿のある場所」ということにちなみ、「御殿場」という地名が誕生しました。

実際には使用されなかった・・・・

しかしながら、この御殿は実際に徳川家康によって使われることはありませんでした。というのも徳川家康は1616年にこの世を去っています。享年75歳でした。この時代にしてみれば、かなりの長寿です。天下をとる人物というのは精神的にも肉体的にも強い人なんでしょうね。死因は鯛のてんぷらを食べたことによる食中毒であるとか、胃癌であるとか言われていますが、病状をみるかぎり、胃癌ではないかと個人的には思っています。

なぜこの地に御殿を設立しようとしたのか

ここからは全くの推測になります。この時代、一番隆盛した道は「東海道」です。江戸と京都・大阪を結ぶ道は日本の大動脈でした。これは今もかわっていませんが。そして御殿場の地、これは徳川家康の故郷である岡崎と江戸城の中間地点に位置します。やや江戸よりですが。また、富士山系や箱根山系の影響で自然環境や水源もしっかりしており、また、古くは北条家と武田家で幾度と無く戦が繰りひろげられた場所でもあります。つまり、「要所」なんです。戦略的観点からも、家康の岡崎と江戸の往来という観点からみても、非常に目の付け所がシャープな位置なんです。自分が家康であっても、箱根や御殿場にはなんかしらの戦略的配置をしていたと思います。箱根は箱根の関がありますが。

 

御殿場に訪れる際は、いつもこのようなことを考えてしまいます。アウトレットで買い物をしているときはそんなことは吹き飛びますけどね。他に殿とつく地名があれば、調べてみたいものです。

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村

Pocket